先週、棚からボタ餅が落ちてきた。
スカラ座で今夜行なわれるProva Generale(最終リハーサル、ゲネプロ)のチケットがあるから行かないか、と夕方18時頃ごろ友人から連絡が入る。40分後にスカラ座の前に行けば、彼の友人でスカラ座の舞台美術に携わる友人が、チケットを握って待っていてくれるという。 チケットは2枚、演目はヨハン・シュトラウスの『Il Pipistrelloこうもり』。 ほぼ同時に手をあげたのは、私と同世代で我が家の隣に住む、在イタリア20年以上の日本人の友人。仕事をなんとか終え(たことにして)、慌てて少しマシな格好に着替え、彼と家の下で待ち合わせし、ミラノのド真ん中・ドゥオモからすぐ近くのスカラ座に向かって早足で歩くこと20分。無事に約束の時間にスカラ座に到着、チケットを友人の友人から有り難く頂戴する。ミラノは小さな街なので、本当に有り難い。 ゲネプロというのは関係者しかいないので、指揮者もオーケストラもジーンズなど私服でカジュアルな格好。また馴染みも多い観客ということもあり、最終リハーサルといえ、なんだかリラックスした雰囲気が流れる。一方で、オペラ関係者の観客ゆえ、ステージを見守る眼は真剣かつ愛情に満ちているようだった。過去2回だけゲネプロを見れた、ごく限られた経験の中での感想でありますが。 舞台の歌い手カンタンテ達は、本番の衣装に身を包んでの最終リハーサル。このオペレッタは、誰でも知っているワルツが満載、話もごくシンプル、とにかくとにかく楽しい。あぁ、オペラあるいはオペレッタとは、その時代の大きな娯楽だったのだなぁ、、と実感。 今回はモダンなセッティングで、主役達は現代のイタリアンファッションに身を包み、壁にはウォーフォールが飾られ、イタリア現代社会ならではの税金や政治のジョークも満載。舞台は、観客とともに双方向で作るという話を想い出す。そういえばこんな話しがあった。同伴の友人は、自宅で多くの人をもてなすのだが、ある日若手の日本人指揮者が招かれた席に、私もご一緒させていただいた。彼は指揮棒を振っている最中、後ろから観客のエネルギーを感じることがあるという。 もうひとつ、私が忘れ難い話しは、意識というかテレパシーというか、見えないコミュニケーションの話。彼が指揮を振っていて、たとえば何かの奏者の音を頭の中で描き忘れていると、その奏者は演奏に入ってこれないという。これは次元は(かなり)違っても、私のような仕事にも通じるのではないかとふと思った。例えば、なにか新しいプロジェクトが舞い込んでも、そのプロジェクトに意識や気持ちを配らないと、そのまま消えてしまう。とにかく形にするには、まず意識をそこに持っていくというか、気持ちやエネルギーを送るというか、常に思い描くというか、、。 さて私たちの席は、天井桟敷の中でも一番上の上、階段を上りに上り、遠く下に見える舞台。。。ただ幸運なことに舞台に割と近く、スカラ座バレー団の群舞のシーンなども、とてもよく見えたのでした。なんせタダなもので、文句も言えたものではありません。ただただ感謝、感謝。 楽しかったねぇ、となんやかんやと二人で話しをしながらまた歩いて23時に家の下に到着、余韻を楽しみプロセッコでも一杯、ということで、彼の家に上がりこんだところ、ヴェネト州トレヴィーゾに行った際買って来たパスタとパスタソースでぱぱっと夜食を準備してくれる。本当にまぁ、美味しいものがある家で、私の運をここに使い切ったら困る、と思うほど、この友人には日々助けてもらい、また楽しい思いをさせていただいている。 ベニスの上の方にある美しい街トレヴィーゾ(一番行ってみたい街)のビゴリと、パスタソース。パスタソースは玉ねぎとアンチョビ。茹でるだけで15分ぐらいかかるしっかりしたムッチリパスタに、このソースをたっぷりかけていただくのが、本当に美味しくて。もちろん、素材はいたってシンプル、添加物なし。地方の昔ならではのこうした食品は、イタリアの宝。ずっと残っていてほしい。二人でワルツを口ずさみながら、パスタをほおばり、いつものごとく馬鹿な話で涙がでるほど大笑い。デザートは金柑と干しアプリコットのはちみつ漬けクローブ風味。最後まで幸せな夜でした。
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久し振りに市場に足を運んだら、春の息吹があちらこちらに感じられました。 ミラノ・サンマルコ広場の市が立つのは、毎週月曜日と木曜日。 アーチィチョークの季節がやってきました。写真はまあるいロマーノ種 オレンジ、マンダリン、みかんはたくさんの種類が並びます グリーンピースと、バルバ・ディ・フラーテ。この二つの野菜を見ると、あぁ春が来たんだな、と感慨深くなります。バルバ・ディ・フラーテは修道士の髭という名の海藻で、初春のイースターの時期にいつもいただくことが多い野菜です。ゴマのペーストにお酢とお砂糖を加えて、ソースにしていただくと美味。 イタリアのグリーンピースは生のまま甘ーくいただけます。まさに春の味。 シチリアのフラゴリーネ。野いちご。 酸っぱさがたまらなく、Fiore di Latteミルクのジェラートと一緒にいただく大好物。 日が長くなって、17時過ぎまで明るいまま。
それだけで、こんなに気持ちも軽やかになるなんて、 ゆっくりゆっくり、春の足音が近づいてくるのを感じます。 Corbezzoliコルベッツォリという名前を初めて耳にしたのは、サルデーニャ島。 サルデーニャ島にはコルベッツォロという特別な蜂蜜があるんだよ、高いんだけどね、 と教えてもらったことがありました。一度縁あってお土産にミラノに買って帰ったとき 隣人や友人たちと試食、あやふやな記憶ながら、栗はちみつの苦味を思わせるような、 それでいて華やかな香りだったような、、。かなり間違っている可能性も大ですが。 日本語でなんというのかななんというのかな?と調べてみると、 ツツジ科イチゴノキというのだそうです。 Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4%E3%83%8E%E3%82%AD 先日トスカーナでクリスマスを過ごした際、親友の姉マルツィアが作る コルベッツォリのジャムをお土産にいただきました。「コルベッツォリのジャム!?」 と一度も聞いたことがないジャムを、早速トスカーナのパーネ・ショッコ(塩気のない トスカーナのパン)の上に載せていただいてみました。 見た目はミルクジャムのような感じですが、ほんのり苦みがあってそれで いて食感がクリーミーで、酸味もあって。私はすっかり虜になってしまいました。 聞いてみると、マルツィアが庭になるコルベッツォロをもてあまして、 ジャムにしたそう。親友アンナは少し苦みのある果実を食べるのが好きだそうですが あまり一般的に食さないそうで、もったいないからジャムに、ということ。 さて、コルベッツォロをWikipediaで調べた際、驚いたことがありました。 コルベッツォロそのものではなく、ページの左下に表示される違う言語のページなのですが。 カタローニア語はさておき、イタリア語の下に
Ligure リグーリア語、 Napulitanoナポリ語、 Sarduサルデーニャ語。 はじめて見ました、イタリアの地方言語のページ。 イタリア統一は、日本の明治維新とほぼ同時期の1861年。 ほんの150年ほど前まで、小国がバラバラにあり、言葉も それぞれ違った訳です。 イタリア統一後、イタリア語を普及していくわけですが、 20世紀に入ってテレビが浸透するとイタリア語普及を加速し、 それぞれの地元の言葉は少しずつ消えていく傾向にあります。 私が住む経済都市・ミラノは、80%がプーリア人、なんてことが聞かれるほどに 産業革命のときに南からの労働者が移住していますから、 アイデンティティはさらに薄いわけで。 ミラノ語は支配されていたフランス、オーストリアの影響もみられると聞きます。 何度かミラノ語を耳にしたことがありますが、さっぱり判りませんでした、、。 お金持ちでお洒落なミラノマダムのことを「シューラ」(男性はシュール)と言うそうですが、 それが唯一かろうじて耳にする言葉。また上流階級ではRをエッレと巻き舌でなく、 フランス語のようにハヒフヘホっぽく発音するそうで。 実際、ミラノ生まれの貴族である年上の友人は、フランス語も流暢ですが イタリア語のRの発音もフランス語風。私はずっと、フランスにも長く住んで いたからなのだろうな、と思っていましたが、そうではなくて上流階級独特の エレガンスだそうで。友人たちから教えてもらい、初めて知った次第。 まだまだ知らないことばかりです、、、。 <Mと友人たち。連れていってもらった、Vigevanoヴィジェーノヴァにて> この夏、16歳の高校生を1ヶ月預かりました。縁は6年前、友人たちと行なっている福島の子どもたちのイタリア保養「オルト・デイ・ソーニ」に最初に参加した12人の子どもの一人で、当時はまだ小学5年生。最初の年の1ヶ月保養を行なったのは、サルデーニャ島のマルッビゥ市から無料で貸していただいた市の宿泊施設。長く使っていなかった施設は、水が出なくなることも頻繁、それはそれはすべてがサバイバル。困難は人の絆を強くするのか、団結力のある大家族のようにみなで過ごした夏でした。(この夏のステイ最後に書いた子どもの感想文の中に、「水の大切さを知りました」という一文が、、、(涙))
その時から、彼の夢は建築家。スケッチもとても上手で、感受性もあり、きっと夢を叶えていくだろうと楽しみにしていましたが、昨年の春の同窓会に参加してくれ、高校進学は、自宅から離れた国立の職業学校の建築家に進み、寮生活をしているとのこと。本気で自分の夢に向かって歩み始めたのだなぁ、と嬉しく思いました。建築の勉強だったら、イタリアを見なくてはね、いつか待っているねと話しました。(サルデーニャは田舎にいたので、都市はカリアリを少しみたぐらいなので)その後連絡がきて、バイトをしてお金を貯めるので、本当に夏休みに来たい、とのこと。自分で努力してお金を貯めるならば、じゃぁ待っています、と夢を応援するために私も快諾、うちのソファーで寝泊まりすることが決定したのでした。 私は、日々かなりの仕事量があるため、残念ながらせっかく来た彼をあちらこちらに連れてってあげることができず、朝8時からの"最後の晩餐"を予約して一緒に見に行ったり、週末は友人の家や別荘に招いてもらったり、ドライブに連れていってもらったりしたものの、基本的に「自分でミラノ探検をしてね」状態。 それでも決定的に違うのが、食事の仕度。ひとり暮らしの勝手きまま、食べないことも多かったり、ワンプレートディッシュで簡単にすますことも多かった人が、朝・昼・夜、しっかり3食を準備する訳ですから。しかも16歳の育ち盛りとの二人分。 イタリアに来てほぼ初めて、頻繁に買い物に行き、普段はほぼ野菜しか買わないわたしがお肉屋さんにも通い、そして日々ある程度規則ただしく食事の仕度をし、、、。正直に白状しますと、仕事と家事の両立が、ここまで大変なんて全く判っていませんでした。スーパーがすぐ横にあり、そして料理も好きな方ですが、それでも毎日3食しっかり、となると大変。30日間の"mamma finta母もどき"という、期間限定のたいそう無責任な保護者でしたが、世のすべてのお母さんに、心から大いなる尊敬の念を抱かずにいられませんでした。1日も飢えさせることもなく、日々子どもも育てるのが、どれだけすごいことか。そして成人するまで見守ることが、どれだけ辛抱がいることか。そして私の母に心から感謝しました。 ちなみに預かっていたMは、本当に良い子。お料理好き、お料理上手でよく手伝ってくれ、ある日はお手製餃子も作ってくれました。二人でお料理を準備する時間はとても楽しく、そしてやっぱりさらに美味しい、一人より二人の食卓。素晴らしい一夏の経験でした。 ときに仕事が全然まだ終らないのに、ランチやディナーの時間に。そんなときに何度かお世話になったのが、私たちが展開している『ラ・プロンタ』シリーズ。美味しく便利、そして無添加だから安心!という認識はあったものの、『救われた〜』とまで実感したことは正直ありませんでした。いかに自分の見識というものが、こうかくも限定的なのかも痛感したのでした、、、。 仕事で身動きできない私の変わりに、隣人がMを美術館に案内してくれたり、建築家の友人が彼の建築事務所に招待してくれ英語ができるようになったら1ヶ月インターンシップをさせてくれると約束してくれたり、フィレンツェ在住の方がフィレンツェの駅でMを待っていてくれ1日案内してくれた上にご自宅に泊まらせてくれたり、ミラノの友人が私が存分に仕事ができるようにMを1泊預かってくれたり、、、、。こんなにも助けてくれる友人が周囲にいてくれること、そして一人ではできることがとても限られていること。Mとの楽しい時間だけでなく、私にとって様々に学びが多い一夏になりました。 次回は、英語ができるようになってからイタリアに来ないとね、と私。私が甘くないことを良く知っているMは、どうやら一生懸命頑張っているようです(本人談。信じているからね。)。イタリアは、素敵な大人が多い、そして美味しい、というのが彼の感想。私の方も、早くまた彼が食事で連発していた『わぁ、うっめー!』がまた早く聞けるようになるといいな、またいつかmamma fintaができるかな、と遠くからエールを送っているのでした。 仕事の都合で日本に長く帰国することも多く、イタリア国内出張も多いのです。その分、家にいる時間に とても幸せを感じます。家にいる楽しみは、お風呂や、ソファーでの読書、自分のキッチン、近所のカフェ などいろいろありますが、そうした日常の小さな幸せのひとつが、モスト・ドゥーヴァ。 朝モストを同量のお湯で割って飲むと、モストの濃厚な味がほどよくなり、とっても美味しい目覚めの 一杯に。身体の芯からほーーっとします。美味しさが元気をくれるし、実際にアンチエージング作用の リベラストロールというポリフェノールがたくさん含まれています。 そういう効能が、私のシワに効いてくれているといいなぁ、という期待も込めて毎朝飲んでもいます(笑) あまり美容というものに興味がない私ですが、さすがに年を重ねるとともに今まで見たことのなかった線が
顔のあちこちに現れ始め、"ははあー、人はこれで整形とかしたくなっちゃうんだな"、という気持ちも 少し想像できるようになりました。鏡の前で、つい顔の皮を両手で上にひっぱりたくなります。 一度、同年代のアメリカ人の友人に『どうしてシワがないの?』と聞いたら『ボートックス』 という返答にビックリ。どうやら彼の地では、プチ整形らしいものも抵抗があまりなく普通のようです。 私は身体に異物を入れたくないし、また高いお金で美を保つのだったら、その分 美味しいものを適量いただいて幸せな気持ちでいたり、旅をして心の栄養をとったほうが ずっと良いと思うのですが、人の価値観はそれぞれ。多様だから世界は楽しいものですものね。 肌の衰えだけでなく、実際に身体のあちこちがガタピシし始めると、どうしても気持ちも 少し弱気に。そんな折、素敵な言葉をイタリアの友人から聞きました。 イタリアの大女優『アンナ・マニャーニ』。 「私のシワを取らないで。だってつくるのに、とっても時間をかかっているのよ。」 そうだ、シワは人生の歴史だ。あって何が悪い。長く長くかかって刻まれているのだ。 でも、同じシワでも眉間のシワでなくて、笑いジワを増やせるようにしたい。 40過ぎたら、自分の顔に責任を持て、という言葉は本当だと思う。 Over the hill.人生も後半戦、毎日毎日を大切に心豊かに過ごしていきたいと つくづく思うこのごろなのでした。 画像はAZ QUOATESより |
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