ミラノにいて幸運だと思うことの一つに、素敵な年上の友人たちに恵まれていることがある。 敬愛と憧れをもたずにいられない、年が20以上離れた友人が何人かいる。 そのうちの一人が、フランカ・ファッブリだ。 フランカは1935年生まれ、現在83歳。いつも微笑みをたたえて、とても可憐で可愛らしい。 外見の美しさと内面の美しさ、少女のようなあどけなさ。その柔かな印象の中に、 芯がしっかりと通って、凛とした品位がある。 ミラノ・スカラ座のオーケストラの楽員だった父を早く亡くしたフランカは、 修道院に預けられシスターたちに育てられた。成長しコーラスに所属していた際に 『あなたの声は、コーラスにいる声ではない』とオペラ歌手の道を歩み始めたという。 その後、スカラ座の舞台監督も務めたルキーノ・ヴィスコンティ(映画監督でもある)に見いだされる。 重要な国際音楽祭でオペラ『椿姫(トラヴィアータ)』を発表することいなっていたヴィスコンティは、 必死にヴィオレッタ(椿姫の名)を探していた。なぜなら以前彼が手がけた『椿姫』は、 マリア・カラスがヴィオレッタ役を務め、高く評価されていたからだ。 その第二のヴィオレッタ選びのオーディションにて、フランカは多くのソプラノの中から選ばれる。 オーディション会場は、ローマのヴィスコンティの私邸。 その優雅なヴィッラ(お屋敷)の部屋で待っていたのは、ヴィスコンティだけでなく、 映画音楽の巨匠ニナ・ロータ、舞台衣装(その後舞台・映画監督)フランコ・ゼッフィレッリなど 錚々たる面々。フランカが2曲歌うと、ヴィスコンティは表情を変えず、『ご苦労』と一言。 フランカは部屋を出ると、そこで泣き崩れたという、落選したと思い込んで。 ローマのオーディションの後、そのままミラノに向かい1日がかりで到着する頃、 彼女のマネージメント事務所にテレグラムが入る。 『ヴィスコンティ伯爵は、フランカ・ファブッリ以外の椿姫は考えられない』と。 フランカはすぐにローマに戻り、そこから数ヶ月ヴィオレッタ役に成りきって 朝から晩まで暮らすことになる。 ローマの『エリザベス・アーデン』のエステティックサロンに送りこまるなど、 徹底的に細部までヴィスコンティの描くヴィオレッタに変貌していく。 数ヶ月もかけてのオペラの準備は、今ではとても考えられない贅沢な行為だそうだ。 その後、フランカはプリマ・ドンナとして長年に亘り活躍し、 キャリアを全うした後は、病床の母親の世話に多くの時間を割き、 生涯独身を通し、今もひとりで暮らしている。 彼女は美しい人と一緒になると『Che bella! あなたってなんて美しいの!』と 躊躇なく声をかけて誉める。私は何度かそのシーンに立ち会ったことがあり、 その度に彼女の無垢な心に感動させられる。 オペラ歌手という激しい競争の世界において、このような 心に壁を作らない、素直で愛に満ちた態度は清らかな心を守る強さがないと とてもできないことだと思う。 先日彼女が入院することがあり、どんなに心細い思いをしていたか、と 迎えにいく友人たちに花を持っていってほしい、とお願いした。 数日後フランカから電話があり、花の御礼を伝えたくて、と言う。 花束を見た途端に思わず感動して涙してしまったのよ、と電話口でも少し涙声。 受け答える私まで、つい涙声。 友人に、どんな花束を買ったのかと聞いたところ、 ごくシンプルな市場のチューリップだった、と。 プリマドンナとして生きた時間に、どれだけ立派な花束を受け取っていたか考えると、 気恥ずかしいぐらいの小さなブーケ。その中にしっかりと気持ちを感じてくれたフランカ。 彼女の歳に、同じような微笑みをたたえられたら、どんなに素敵なことだろう。 フランカがマリア・カラスとの想い出を語ったときがあった。 舞台で歌うことだけに没頭して生きてきた人間は、普通の暮らしの術を身につける間がなく、 歌うことをやめると孤独に放り出されると言っていた。 今の時代、舞台にすべての人生を捧げる歌手はもはやいないだろう、と音楽関係の友人たちは語る。 フランカは舞台の後、ディナーに行ったこともなかったという。常に体調を整えてしっかり歌うために。 あの柔らかい微笑みの下に、彼女の鍛錬した強さを感じずにはいられない。 やはりフランカは、私の憧れの女性だ。 2018.1 フランカと、長年の友人フェルディナンド
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