8月もあと1日残すばかりとなった今日、久しぶりに近所の市場に。 まだ100%とは言えない出店状況であるし、ほとんどの八百屋さん明らかにいつもより控えめな物量。 それでも暑すぎてしばらく見かけることのなかった花屋さん、魚屋さんが久しぶりに姿を見せていて 嬉しくなった。 <今日の市場から> イタリア人の友人が以前言っていた言葉が忘れられない。
「私は引っ越しできない。だって私の肉屋、私の魚屋、私のパン屋、私のクリーニング屋から離れられないから。」 その言葉を聞いたとき、へぇ〜っと思ったけれど、今はその気持ちが少しはわかるようになってきた。 土曜日に有機野菜を近郊から売りに来る農家の人たち。彼らと少しずつ顔なじみになると、同じ野菜やフルーツを買うのならば、大手スーパーや大型店よりも、信頼できて頑張っている彼らから買いたいと思う。土曜日に用事があって買いに行けなかったりすると、地元産の旬の良い野菜が手に入らずに残念であるだけでなく、なんだか申し訳ない気さえしてくる。とても誠実な価格で販売していて、毎回気前よくおまけをしてくれたりするので、少しでも応援したいし、朝パンパンできたトラックを空にして帰ってくれるといいな、と心配になる。 お客さんが他にいなくて落ち着いているとき「僕たちコーヒーの配達頼むけど、一緒にどう?」なんて声をかけてもらったことがあった。常連客が買い物を終わったあとに、彼らが仕事している横に陣取り、そのままずっとしゃべっている様子を見かけるのもしばしば。イタリアのこういう人間ぽいところが、とても好きだ。大手スーパーで棚から自分で必要な分をとって、量って買うのも便利ではあるけれど、また世界中から届く野菜とフルーツがなんでも揃うぐらいある売場はすごいことだと思けれど、プロが、そして育てた本人が、「いつ食べるの?今日だったら、これが食べごろだね。いっしょにこれと食べたらおいしいと思うよ、一個つけとくね」なんて調子で自分のために選んでくれるのは、とてつもなく贅沢で幸せなことだと思う。 不揃いの野菜やフルーツが木箱ひとつひとつにいっぱいに詰まって、その木箱が所狭しと並んでいる。都市で暮らしていると、彼らの品揃えからその季節の自然の様子が透けてみえてくる。最近、自然がそのときに与えてくれる季節の野菜や果物だけで十分なのでは?と思うことがある。またそれがきっと自然のリズムの理にかなっているだろうし。そして旬はやっぱり美味しいし。 それにしても一人暮らしの身は、買い物も量が少なく売上にあまり貢献できない。ごめんなさいー。
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