昨日の土曜日は、日本からいらした大切なお客様とヴェローナで合流して打ち合わせ。
ヴェローナは以前に半年ほど住んだ街ではありますが、それでも来る度にうっとりするほど美しい街です。ロミオとジュリエットの舞台としても有名なこの街は、毎年ヴァレンタインにたくさんの観光客が訪れます。そんな時期と重なったこともあるのでしょうが、街の中心はとにかくすごい人。 ランチタイムは、今話題になっているピザ屋さん“SAPORE'サポレ”で。 ヴェローナ(北のヴェネト州ですよ、南でなく!)でピザ???という反応についなるのですが、 ところがどっこい、サクサクとおいしく、またお腹に軽いと大評判。いわゆる新しいトレンドの、ポスト・ナポリピザ。 天然酵母、あるいは生きた天然酵母を使ってつくる、さまざまな創作ピザ。素材は最高級のものばかりを厳選、ピザと合わせます。30ヶ月熟成のごく薄くスライスした生ハムや、プーリアのブッラータなど、イタリアのベスト・オブ・ベストを。 中国のマントウのように蒸したピザ、外はカリカリ・中はふんわりピザ、商標も取っているクランチとダブルクランチのサクサクピザなど、ピザはナポリと言っていられないほど美味しくて、こだわっていて、またメニューも斬新で豊富、楽しいピザの新しいフロンティア。販売しているビールは、同じく活きた酵母を使ったイタリア最高級ビール“バラデン”。菊芋のピッツァなど、驚きのトッピングも。大勢でいろんなピザを楽しめました。
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先週、棚からボタ餅が落ちてきた。
スカラ座で今夜行なわれるProva Generale(最終リハーサル、ゲネプロ)のチケットがあるから行かないか、と夕方18時頃ごろ友人から連絡が入る。40分後にスカラ座の前に行けば、彼の友人でスカラ座の舞台美術に携わる友人が、チケットを握って待っていてくれるという。 チケットは2枚、演目はヨハン・シュトラウスの『Il Pipistrelloこうもり』。 ほぼ同時に手をあげたのは、私と同世代で我が家の隣に住む、在イタリア20年以上の日本人の友人。仕事をなんとか終え(たことにして)、慌てて少しマシな格好に着替え、彼と家の下で待ち合わせし、ミラノのド真ん中・ドゥオモからすぐ近くのスカラ座に向かって早足で歩くこと20分。無事に約束の時間にスカラ座に到着、チケットを友人の友人から有り難く頂戴する。ミラノは小さな街なので、本当に有り難い。 ゲネプロというのは関係者しかいないので、指揮者もオーケストラもジーンズなど私服でカジュアルな格好。また馴染みも多い観客ということもあり、最終リハーサルといえ、なんだかリラックスした雰囲気が流れる。一方で、オペラ関係者の観客ゆえ、ステージを見守る眼は真剣かつ愛情に満ちているようだった。過去2回だけゲネプロを見れた、ごく限られた経験の中での感想でありますが。 舞台の歌い手カンタンテ達は、本番の衣装に身を包んでの最終リハーサル。このオペレッタは、誰でも知っているワルツが満載、話もごくシンプル、とにかくとにかく楽しい。あぁ、オペラあるいはオペレッタとは、その時代の大きな娯楽だったのだなぁ、、と実感。 今回はモダンなセッティングで、主役達は現代のイタリアンファッションに身を包み、壁にはウォーフォールが飾られ、イタリア現代社会ならではの税金や政治のジョークも満載。舞台は、観客とともに双方向で作るという話を想い出す。そういえばこんな話しがあった。同伴の友人は、自宅で多くの人をもてなすのだが、ある日若手の日本人指揮者が招かれた席に、私もご一緒させていただいた。彼は指揮棒を振っている最中、後ろから観客のエネルギーを感じることがあるという。 もうひとつ、私が忘れ難い話しは、意識というかテレパシーというか、見えないコミュニケーションの話。彼が指揮を振っていて、たとえば何かの奏者の音を頭の中で描き忘れていると、その奏者は演奏に入ってこれないという。これは次元は(かなり)違っても、私のような仕事にも通じるのではないかとふと思った。例えば、なにか新しいプロジェクトが舞い込んでも、そのプロジェクトに意識や気持ちを配らないと、そのまま消えてしまう。とにかく形にするには、まず意識をそこに持っていくというか、気持ちやエネルギーを送るというか、常に思い描くというか、、。 さて私たちの席は、天井桟敷の中でも一番上の上、階段を上りに上り、遠く下に見える舞台。。。ただ幸運なことに舞台に割と近く、スカラ座バレー団の群舞のシーンなども、とてもよく見えたのでした。なんせタダなもので、文句も言えたものではありません。ただただ感謝、感謝。 楽しかったねぇ、となんやかんやと二人で話しをしながらまた歩いて23時に家の下に到着、余韻を楽しみプロセッコでも一杯、ということで、彼の家に上がりこんだところ、ヴェネト州トレヴィーゾに行った際買って来たパスタとパスタソースでぱぱっと夜食を準備してくれる。本当にまぁ、美味しいものがある家で、私の運をここに使い切ったら困る、と思うほど、この友人には日々助けてもらい、また楽しい思いをさせていただいている。 ベニスの上の方にある美しい街トレヴィーゾ(一番行ってみたい街)のビゴリと、パスタソース。パスタソースは玉ねぎとアンチョビ。茹でるだけで15分ぐらいかかるしっかりしたムッチリパスタに、このソースをたっぷりかけていただくのが、本当に美味しくて。もちろん、素材はいたってシンプル、添加物なし。地方の昔ならではのこうした食品は、イタリアの宝。ずっと残っていてほしい。二人でワルツを口ずさみながら、パスタをほおばり、いつものごとく馬鹿な話で涙がでるほど大笑い。デザートは金柑と干しアプリコットのはちみつ漬けクローブ風味。最後まで幸せな夜でした。 Corbezzoliコルベッツォリという名前を初めて耳にしたのは、サルデーニャ島。 サルデーニャ島にはコルベッツォロという特別な蜂蜜があるんだよ、高いんだけどね、 と教えてもらったことがありました。一度縁あってお土産にミラノに買って帰ったとき 隣人や友人たちと試食、あやふやな記憶ながら、栗はちみつの苦味を思わせるような、 それでいて華やかな香りだったような、、。かなり間違っている可能性も大ですが。 日本語でなんというのかななんというのかな?と調べてみると、 ツツジ科イチゴノキというのだそうです。 Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4%E3%83%8E%E3%82%AD 先日トスカーナでクリスマスを過ごした際、親友の姉マルツィアが作る コルベッツォリのジャムをお土産にいただきました。「コルベッツォリのジャム!?」 と一度も聞いたことがないジャムを、早速トスカーナのパーネ・ショッコ(塩気のない トスカーナのパン)の上に載せていただいてみました。 見た目はミルクジャムのような感じですが、ほんのり苦みがあってそれで いて食感がクリーミーで、酸味もあって。私はすっかり虜になってしまいました。 聞いてみると、マルツィアが庭になるコルベッツォロをもてあまして、 ジャムにしたそう。親友アンナは少し苦みのある果実を食べるのが好きだそうですが あまり一般的に食さないそうで、もったいないからジャムに、ということ。 さて、コルベッツォロをWikipediaで調べた際、驚いたことがありました。 コルベッツォロそのものではなく、ページの左下に表示される違う言語のページなのですが。 カタローニア語はさておき、イタリア語の下に
Ligure リグーリア語、 Napulitanoナポリ語、 Sarduサルデーニャ語。 はじめて見ました、イタリアの地方言語のページ。 イタリア統一は、日本の明治維新とほぼ同時期の1861年。 ほんの150年ほど前まで、小国がバラバラにあり、言葉も それぞれ違った訳です。 イタリア統一後、イタリア語を普及していくわけですが、 20世紀に入ってテレビが浸透するとイタリア語普及を加速し、 それぞれの地元の言葉は少しずつ消えていく傾向にあります。 私が住む経済都市・ミラノは、80%がプーリア人、なんてことが聞かれるほどに 産業革命のときに南からの労働者が移住していますから、 アイデンティティはさらに薄いわけで。 ミラノ語は支配されていたフランス、オーストリアの影響もみられると聞きます。 何度かミラノ語を耳にしたことがありますが、さっぱり判りませんでした、、。 お金持ちでお洒落なミラノマダムのことを「シューラ」(男性はシュール)と言うそうですが、 それが唯一かろうじて耳にする言葉。また上流階級ではRをエッレと巻き舌でなく、 フランス語のようにハヒフヘホっぽく発音するそうで。 実際、ミラノ生まれの貴族である年上の友人は、フランス語も流暢ですが イタリア語のRの発音もフランス語風。私はずっと、フランスにも長く住んで いたからなのだろうな、と思っていましたが、そうではなくて上流階級独特の エレガンスだそうで。友人たちから教えてもらい、初めて知った次第。 まだまだ知らないことばかりです、、、。 プーリア州バーリでお世話になっている、ティベリーノ家のマンマ・リーナはローマ出身。
クリスマス前に出張でお会いした際に、手作りのローマのお菓子『パーネ・ジャッロ・ロマーノ』を 渡してくれました。もうすぐ80歳のマンマではありますが、今もオフィスのパソコンで 一家の経理業務を担当、その上孫のお世話に、家族のご飯づくりまで。 いつもニコニコ可愛いスーパーマンマ。私の知る南イタリアの方々は、本当によく働きます。 お正月、マンマの愛を感じながら少しずつ大切にいただいているこの『パーネ・ジャッロ・ロマーノ』。 ローマの冬のお菓子ですが、起源は帝国ローマ時代まで溯るそうです。 パーネ・ジャッロにも様々な種類があるようですが、蜂蜜とヘーゼルナッツ、松の実、 くるみ、干しぶどうなどの原材料がベースのよう。 こういうマンマの手作りに触れる度、毎回思うことですが、あと10年経ったとき 私たちの世代のどれだけの人が継承できるのか。イタリア人の友人たちを見回すと 皆仕事をしていて、マンマたちがしていることをやる余裕もスキルもなし。 (日本に置き換えると、私の母がやっている毎年の梅仕事や、お祝いのお赤飯や お月見仕度など、季節の仕事を私はほとんどできません、、、) マンマが元気なうちに、教えてもらえることは教えておいて欲しい。 貴重な無形文化、ぜひ機会があれば学びたいといつも思いつつ、早もう10年近く。 一番残念なのは、イタリア家庭料理の魅力を教えてくれた、 親友アンナのマンマが他界してしまったこと。 今年こそは少しずつ各地のマンマに教えを乞えたら、と願っています。 20年来お世話になっているご家族を招いていただき、トスカーナの山間の大自然の 中のお家にクリスマスイブ、クリスマスランチと過ごしてきました。 日本の元旦のように、イタリア人にとっては家族が大集合する2日間。 よそ者の私も、友人たちの温かい親切のおかげで、なんとか毎年淋しくなく過ごせています。 お邪魔した親友の姉夫婦の家は、がっちりとした石の家。簡素ながらしっかりとした作りで 糸杉と広い庭に囲まれた、昔から私の憧れの家。初めて聞いたのですが、1200年代の塔が この家のベースなのだとか。何世紀にも亘って、増築しながら大切に維持された家は、 真ん中にそれは立派な栗の木の大きな梁があり、自然に抱かれているようで、 そこにいるだけで心地よい作り。 一家のクリスマスイブのメニューは、アンチョビバター、 手作りのイノシシのソーセージ、トスカーナ名物レバーのクロスティーニ、 アンナ特製のロシア風サラダ、サルデーニャからいただいたというカラスミ(ボッタルガ)を 削って生のアーティチョークとカラスミのサラダ。 メインは手作りコテキーノ、そしてレッサ(ボリート)と言われるお肉をシンプルに煮たもの。 デザートは、シチリアはエリチェの有名なパスティッチェリア(お菓子屋さん) 『マリア・グラマティコ』からアーモンドやピスタチオのお菓子。マリア・グラマティコは 親友アンナのシチリアの母のような存在。孤児であったマリアは 修道院で成長し、そこで尼さんたちからお菓子作りを学んだそう。生い立ちを書いた本 『ビター・アーモンド』も読んでみたいです。 デザートのもう一品は、泡立てた生クリームとメレンゲを固めたお菓子『MARENGOマレンゴ』。 これはお菓子屋さんでなく、家で作るのが一番なのだとか。親友の姉のマルツィアはとても上手。 一度、ぜひ習ってみたいお菓子。クリスマス当日はまた改めて、、。 |
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